【映画】『カッツィ三部作』− Koyaanisqatsi 1982 Opening Ending

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『カッツィ三部作』。

これら作品はナレーションや台詞が一切挿入されず、映像とバックに流れる音楽の提示という形式で統一されている。

監督はゴッドフリー・レッジョ、音楽は作曲家のフィリップ・グラスが音楽が担当、撮影はロン・フリッケ。

  • 1982年 『コヤニスカッツィ』
    常軌を逸し、混乱した生活。平衡を失った世界
  • 1988年 『ポワカッツィ』
    変容する生活、自己の繁栄のために他者の生命力を消費する存在、あるいはその生活様式
  • 2002年 『ナゴイカッツィ』
    互いに殺しあう命、日常と化した戦争、文明化された暴力

コヤニスカッツィを観たのは大学の文化人類学の授業の時だ。

ちょうど宮内勝典氏の宇宙的ナンセンスの時代を読んでいた時で、映画も興味深くみたことを思い出す。


アポロ12号計画のサターンVロケット打ち上げのクローズアップから、衝撃的なマーキュリー計画の打ち上げ用無人ロケットアトラスが、打ち上げ後の上昇で大破したスロー映像のエンデイング。

あれから10年以上。やはり、色褪せてはいない。

ジャンルを越境して才能を刺激する驚愕の映像叙事詩というのは誇張ではない。

監督のレッジョ氏は

「これらの作品は、テクノロジーや産業が人間にもたらした結果をひけらかそうとしたものではありません。三部作で表現されているのは、政治、教育、経済の構造、国家の基本構造、言語、文化、宗教、といったもの全て、テクノロジーという概念を構成しているもの全てなのです。
テクノロジーが”もたらした結果”についての映画ではありません。私たちはテクノロジーを利用しているのではなく、テクノロジーの中に生きている”のです。テクノロジーはあらゆる箇所にいきわたり、空気と同じような存在と化しているのですから。

上記で云われているように、今やテクノロジーは本当に空気と同じような存在と化している。

だが、遠い未来に自然とテクノロジーは対立ではなく、本当に共生ができるのか、という問いには答えは出ていない。

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