恐怖という闇
この映画は、個人的にはとても興味深くて、たまに見返したくなる作品です。
その理由としては、とにかく賛否両論あるラストです。
この映画のラストは、人の感情として不満を感じるのは当然かもしれませんが、ある意味で人間が選択する行動パターンのひとつとして、このラストの描き方はありだろうと思います。
この映画の本質的な部分は、霧に囲まれて極限まで追い詰められた人間の心の闇に潜む「恐怖」です。その外的な恐怖と心の内側を侵食していく恐怖が、どこまで人を歪ませるのか、そのような状況に抗うのが、どれほど困難なのか描いています。
V.E.フランクルの『夜と霧』
この映画を見ながら、何故だか「霧」の言葉つながりでV.E.フランクルの『夜と霧』を思い出しました。どちらも極限の状況ながら、その帰結は異なっています(状況が違うので、正確にば比較さえ出来ないのですが…)。
しかし、この映画を単純なホラーという括りだけで判断せず、もし原作に記述されているような
「なにかがやってきた ―― 人間の頭が断じて受けつけないようなものが存在する ―― 人間のちっぽけな知覚の扉を通り抜けられないほどの闇黒と恐怖が存在するのだ ―― それと同様な、壮大な美が存在するのと同じように」
そんな存在に人間が対峙したら、いったいどれほどの人がこの映画のラストで主人公が取った行動とは別の選択をできるのだろうか?私には、その数は多いとは思えない。
だからこそ、V.E.フランクルの『夜と霧』の内容に深い感銘を受けるし、『ミスト』という映画も素晴らしいと思えるのかもしれない。まったく違うようでいて、共通するテーマを持つ2つの作品。ミストを観た方は、思索的な書籍としても非常に優れているので、是非ともV.E.フランクルの『夜と霧』を読んでみて下さい。
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