導入|正しいはずなのに、なぜ続かないのか
改善している。
数字も見ている。
人も頑張っている。
それでも、現場は楽にならない。
むしろ、判断は増え、疲弊だけが積み重なってしまう。
このブログでは、投資、習慣、仕事、歩くことなど、
一見ばらばらなテーマを扱っています。
けれど、私の中では、実のところ、ずっと同じ違和感の問いにつながっています。
それは正しいことをしているはずなのに、なぜ途中で壊れる方向にいってしまうのか?
個々には正しいことを積み上げているつもりなのに
いったい、何が足りていないのか?
仮説|行動は「意識」ではなく前提で決まっている
現実的には、多くの場合、問題は能力や意識の話として整理されています。
- スキルが足りない
- 当事者意識が弱い
- マネジメントが甘い
ただ、現場を長く見ていると、
それだけでは説明できない場面に何度も出会います。
同じ人、同じ努力でも、
ある組織では回り、別の組織では壊れる。
この差を生んでいるのは、個人の意志ではないのではないか、
行動がどう決まってしまうのかという前提の構造のなにか問題があるのではという話です。
定義|ここで言う「事業OS」とは何か
ここで使う「事業OS」という言葉は、
戦略や理念を指しているわけではありません。
- 仕事量を、何で捉えているか
- 人の時間を、どう数えているか
- どこで滞り、どこで止まるか
こうした、
日々の行動や判断を自動的に決めている構造を指しています。
このOSが整理されていないと、
どれだけ正しい施策を入れても、現場には必ず「無理」が発生します。
なぜ事業の話が、資産管理の感覚と重なるのか
これまでも、この事業OSの話を整理していると、
自分でも不思議に感じることがあります。
部分的な滞留が全体に影響する感覚。
俯瞰して配分を見直し、少しずつ調整していく感覚。
それが、資産管理におけるポートフォリオ調整とよく似ているんですね。
若い頃は、偶然だと思っていました。
けれど整理してみると、理由は明確です。
どちらも扱っているのは、
有限な資源をどう配分し、どこで破綻を防ぐかという問題だからです。
事業では、人の時間や処理能力。
資産管理では、資金やリスク許容量。
形は違っても、
「すべてを同時に最大化できない」という前提は同じです。
そして全体を決めるのは、平均の考え方ではありません。
なぜなら一部の偏りや滞留が、全体の振る舞いを縛るからです。
一箇所の工程が重くなると全体が回らなくなり、
一部の資産が重くなると判断全体が歪みます。
なので、ここでいう事業OSで扱いたいのは、
効率を最大化する方法ではありません。
全体の配分を最適化するために、調整し続けるための前提を、どう設計するか。
その考え方です。
現場で起きていること|改善しても楽にならない理由
現場では、改善案が尽きません。
- 手順を見直す
- チェックを増やす
- 教育を強化する
どれも間違ってはいない。
それでも忙しさは減らず、判断と負荷だけが積み上がっていく。
このとき起きているのは、努力不足ではありません。
仕事や時間をどう捉えるかという前提が、整理されていない。
多分、大きく捉えれば、それだけです。
その結果、
捉えらていない改善が積み重なって
現場は重くなっていきます。
立場について
なお、ここで述べる視点は、
ジャイアン自身が現場でオペレーションを回す立場と
意思決定を見る立場の両方を経験する中で、
どうしても整理せざるを得なかったものです。
決して、正解を示したいわけではありません。
ただ、私のように壊れる構造の共通点について悩んでいる人がいたら、
知り得る範囲で、それをクリアにする視点のいくつかを
少しでも共有できればと思っています。
この先で扱うこと|OSを具体に落とす
この導入記事では、
あえて個別の方法論には踏み込みんでいません。
この先の記事では、
- 仕事量を「件数」ではなく時間で捉える話
- なぜ時間を数えても回らないことがあるのか
- 見えない制約が、どう全体を縛るのか
- 配分をどう調整し続けるか
といったテーマを、
現場で起きる現象ベースで整理していきます。
この話は、事業論というよりは、
どれにも通じる生存設計の視点に近いものです。
合わなければ、ここで閉じてしまって問題ありません。
ただ、これまでの内容に「分かる」と感じる部分があれば、
次の記事に進んでみてください。



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