メガネヌマ なぜ、ここまでメガネにこだわるのか(眼鏡と出会って、考え方が変わった話)

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こんにちは。

今日は、
なぜ自分は、ここまでメガネに時間とお金を使うようになったのか
その理由を、できるだけ整理して書いてみます。

きっかけは、今から10年以上前。
老眼になったことでした。

ただ、振り返ると理由はそれだけではありません。

  • 眼鏡のあるファッションスタイルへの憧れ
  • 日本の眼鏡産地「鯖江」の存在を知ったこと
  • 生産地ごとに、スタイルや思想が違うと気づいたこと

この三つが重なって、
気づけば、引き返せないところまで来ていました。


1|眼鏡のあるスタイルへの、ずっと前からの憧れ

学生時代から、
俳優や作家、デザイナーが眼鏡を掛けている姿には、なぜか惹かれていました。

おしゃれ、というよりも、
「その人は、その眼鏡込みで成立している」ように見えた。

当時は視力に問題がなく、
眼鏡は自分にとって不要な存在でした。

老眼になったことで、
初めて「選ぶ側」に立った。

憧れが、現実の選択肢になった瞬間です。


2|鯖江という存在を知って、前提が変わった

最初の一本を選ぶ中で、
決定的だったのが、鯖江という産地の存在でした。

日本の眼鏡フレームの多くが、
福井県鯖江市周辺で作られている。

しかも、

  • 手作業が多く残っている
  • 海外ブランドのフレームも、実は鯖江製が多い
  • 掛け心地や精度が、世界的に評価されている

こうした事実を知ったとき、
眼鏡の見え方が一気に変わりました。

これはファッション雑貨ではなく、
精度を突き詰めた工業製品でもある。

「どうせなら、ちゃんと選びたい」

ここで、選び方の基準が切り替わります。


3|生産地ごとに、スタイルと思想が違うと気づいた

さらに面白かったのは、
生産地やブランドごとに、思想がはっきり違うことでした。

ドイツは合理性。
デンマークは軽さと機能。
イタリアは造形と主張。
日本は精度とバランス。

同じ眼鏡でも、
何を大事にしているかが、はっきり見えてくる。

このあたりから、
「一本で終わる気がしない」と感じ始めました。


4|一本目で気づいた「違和感のなさ」

そうした前提のもとで選んだ、最初の一本。

レンズ込みで三万円台後半。
当時の自分にとっては、かなり思い切った買い物でした。

翌日、そのまま仕事へ。

周囲の反応よりも、
自分の中で何も起きなかったことが印象に残っています。

疲れない。
気にならない。
外したくもならない。

この「違和感のなさ」が、
すべての始まりでした。


5|二本目で分かった、眼鏡の影響力

一か月もしないうちに、二本目を買いました。
今度は、明らかに存在感のある形です。

掛け比べてみると、
顔の印象が、想像以上に変わる。

眼鏡は、
思っていた以上に「前に出る」道具でした。

服ほど手間はかからないのに、
印象の変化量は大きい。

ここで、眼鏡を見る目が完全に変わります。


6|気づけば、二十本を超えていた

そこからは、
調べて、試して、増えていきました。

一年ほどで六本。
毎年数本ずつ増え、
今では二十本を超えています。

妻から「ちょっと病的だよね」と言われ、
否定はできません。

ただ、後悔はありません。


7|眼鏡は、思った以上に“生活に効く”

ここで一つ、軽く触れておきたい話があります。

眼鏡は、
単なる見た目の道具ではありません。

視界の安定感。
装着感。
フレームの主張。

これらは、
仕事の集中や疲れ方に、はっきり影響します。

実際、眼鏡を替えただけで
「今日は妙に疲れる」「集中が続かない」
そう感じたことは、何度もありました。

このあたりは、
「判断環境」という視点で整理すると、かなり面白い話になります。

※この続きは、別記事で詳しく書く予定です。


8|一本に集約しなかった、という話だけ

最後に、結論だけ。

眼鏡を選ぶ中で、
「一本で全部を賄う」という発想はなくなりました。

役割が違うなら、道具も分けた方が早い。
使い分けは贅沢ではなく、迷いを減らすための分業です。

ここまで来て、
眼鏡は完全に、生活の道具になりました。


おわりに

この文章は、
「眼鏡が好きな人の話」ではなく、

どうして、眼鏡が生活に入り込んできたのか
その過程を記録したものです。

判断環境としての眼鏡、
優先順位や使い分けの話は、
次の記事で、もう一段深く掘ります。

もしここまで読んで、
「そこ、気になるな」と思ったら、
ぜひそちらも覗いてみてください。

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