はじめに|なぜだか、散歩の延長のような山歩きが楽しそうだった
カナダに来てから、山との距離が一気に近くなりました。
特別な準備をしなくても、少し車を走らせるだけで、自然の中を歩ける場所がいくらでもあります。
山登りって、山頂に向かうようなイメージでしたが、
もちろん、山歩きは、それだけではありません。
そのことを知ってから、せっかくこの環境にいるのだから、「登った」「達成した」という結果より、
この土地をどう味わうかを大事にしたいと思うようになりました。
そう考えるようになってからは、
山頂に向かうことは全く考えなくなり
そもそも、そのの関心も自然と薄れていきました。
歩くことを主役にすると、土地の情報量が増える
山頂を目的にすると、
・どれくらい進んだか
・予定通りか
・引き返すべきか
と、どうしても判断が前に出ます。
でも、歩くこと自体を主役にすると、
視線はもっと手前に落ちます。
足元の土、木の種類、苔の広がり、遠くの水音。
カナダのトレイルは、
「到達させる」より「通過していく」前提の場所も意外に多い。
そのため、情報を拾いながら歩く感覚が自然に育ちます。
せっかくカナダに来たので、判断を減らしたい
こちらで暮らしていると、
言語や制度、文化の違いで、日常の判断量は確実に増えます。
だからこそ、自然の中では、
できるだけ考えなくていい時間をつくりたい。
・今日はどこまで行くか → その場で決める
・ゴールはどこか → 決めない
・疲れたらどうするか → 無理をしない
この緩さは、奥さんと一緒だから成立しましたとも云えます。
「やめよう」という判断が、失敗扱いされないからです。
トレイルは犬天国という発見
私たちは昔、犬(ビーグル犬)を飼っていました。
だからというわけではありませんが、
こちらのトレイルを歩いていると、犬の多さに自然と目が向きます。
リードを付けて静かに歩く犬もいれば、
嬉しそうに先を行ったり戻ってきたりする犬もいる。
飼い主との距離感が、どこか対等で、無理がありません。
もちろん、人によるとは思いますが。
犬が歓迎されている場所は、
人間にも過度な緊張を求めません。
トレイル全体に、
「急がなくていい」「多少立ち止まっていい」
というおおらかさがあるように思います。
それを見ること自体も、歩く楽しみの一つになっています。
夫婦で歩くと、楽しみが分業される
歩いていて面白いものは、人によって違います。
妻が景色や足元を見ている間、
自分は周囲の人工物に目が行きます。
特に楽しみにしているのが、
トレイルの途中やアンダーパス、橋脚に残されたグラフィティです。
自然の中に突然現れる、人の痕跡。
雑なものもあれば、驚くほど完成度の高いものもある。
それを見つけては、少し立ち止まる。
目的を急がない歩き方だからこそ、
そうした寄り道が自然に組み込まれます。

ウォーキングの延長で成立する山歩き
こちらでは、
登山と散歩の境界が、日本よりずっと曖昧です。
・Tシャツ
・スニーカー
・スマホの地図
それだけで歩ける場所が、本当に多い。
準備に気合を入れなくても、
自然の中に入れてしまう。
「せっかくカナダに来たので、今日は少し歩こうか」
この一言で始められるのは、大きな利点です。
天気を理由にしないという習慣
晴れの日はもちろん気持ちいい。
ただ、霧や小雨の日のトレイルも悪くありません。
こちらでは、
天気を完全に選ぶこと自体が現実的ではない。
だからその日の条件を受け入れる前提が、最初からあります。
結果として、
「行ける日が増える」。
それが、続いている一番の理由かもしれません。
身体を壊さず、この土地を長く歩くために
歳をとって、関節や軟骨は、あとから取り戻せません。(→事前準備は大事!)
だから私たちは、
「今どこまで行けるか」より、
「この生活の中で、何年歩き続けられるか」を考えています。
高い山でなくても、
この国には、静かで気持ちのいい道が無数にありますし
せっかくカナダに来たのだから、
一度きりの達成より、
何度も歩ける関係を選びました。
おわりに|登らなくても、十分に来ている
山に来た証明は、山頂に立つことではありません。
歩いた時間、見た景色、すれ違った犬、立ち止まったグラフィティ。
それらがちゃんと残ります。
並んで歩き、疲れたら引き返し、
帰りにコーヒーやビールを飲んで帰る。
せっかくカナダに来たので、
これからも、そんな山歩きを夫婦で続けていけたらと思っています。
これから、私たちが実際に歩いたトレイルをいくつか紹介していきます。
どれも特別な場所ではありませんが、
この歩き方だからこそ残った時間と景色です




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